刺激と敬意
とても心地よく、刺激的で楽しかった。
久しぶりに友人に会った。
何も変わらない。変わったと言えば、良いものを求めたり、自分の信じるところというのがもっともっとはっきりしてきてたり。
したいことを、きちんと出来る。
それを実行できるのは、本当に自分で自分を大切にしているから。
そして、そんな人は輝いている。
いいものを引き寄せている。
きっと、もっともっと上のステップへと自分を運んでいく。
僕の目に、彼らはそんな風に映った。
何事も制限なんてない。取捨しなくていい。ただ、選択するだけ。
例えば、仕事とプライベート、どっちかを頑張ったらどっちかを犠牲にしなきゃいけない、なんてことない。どっちも選べばいいだけ。
それがしんどいなって思うなら、どっちかが自分には適してない。
犠牲にしたくないのに犠牲にしてしまうのは、それは知らないうちに自分がそう選んじゃってるから。
欲張っていいんだ、全部全部望んだことだ、そう思えれば物事は自然とそう動いていく。
起こること全てに、意味があるなんてそんなにポジティブにはなれないけど、それでも意味合いを見つけてもいいんじゃないか。
丁寧に、自分で自分を大切に過ごしていく。
もっともっと、自分を大切に、ということを前提にしていければ。
なにかをしようと思って少しでも行動を起こした段階でそれはもう自分の意識に組み込まれる。というか、その時点でできるのははっきりしている。
友人の起こすであろう行動は自分にはまねできないな、うらやましいと思ったけど、彼は彼。自分は自分。
自分なりに生きていけばいい。
幸福は身の回りにたくさんあって、それぞれの人に見合った大きさでいたるところに存在してる。
それを見るか見ないか。
丁寧に、余裕をもって過ごせば、もっともっと見える。
もっともっと幸福になる。
当たり前なんてない。すべては必然だとしても、当たり前なことではない。
改めて、自分を大切にしたり、自分の望むことをしてみたとき、全てはうまく回りだす。体感してるんだから、それほど強いものはない。
自信を持たなくてどうする、自分は一人だし、こうして存在してる。
正直に、素直にしてると、なんとかなるようにできていると思う。
楽しまなくて、大切にしなくて、そんなのでいいの?
もったいないよ。
もっともっと自分を大切にして、自分で自分を満たして、自分自身に敬意を表して。