雑記、思ったことをつらつらと
子どもの頃、自分は何でも出来る、何にでもなれると信じて疑っていませんでした。
アクション映画の主人公みたいに、高いところから飛んでも平気だったり、望めばレーサーにでも、先生にでも、警察官にでも、海外に移住することだって出来る。
想像力豊かだった気がします。
でも、いつからだろう。
そんなことを考えたり、望むことも忘れて、目の前のことに不満を感じていないフリをして、わくわくするような妄想、想像もできなくなって、でもこれが現実だと必死で言い聞かせようとしていました。
そして、気づけば自己肯定感が低くて、ネガティブで、周りの目を気にしてやってみたいことも出来ず、日々に追われていました。
こんなはずじゃなかったのに。
でも、じゃあどんなはずだった?
そんなことすら思い出せない。ある意味、諦めにも近かったように思います。
自分を認める事も出来ず、かといって頑張るわけでもなく。
なにが原因か、自分を直視しようとせず、問題に直面したくなくて見ないフリ。
純粋なようでいて、何層ものしがらみや固定概念がありました。
いろいろなきっかけが重なって、それを直視せざるを得なかったとき、少しずつ変わろうと思っていったとき、そのベールみたいなものが取れ、無防備でした。
無防備だからこそ、今まで傷つかなかったようなことで傷ついたり、いらいらしたり、無気力になったり。
まるで、反抗期になった気分で周りのものすべてが敵のように思えた時期もありました。
それを経て、またこうして書くようになり、いろいろと気づいたこと、だめだと改めて向き合って、たくさん自分に絶望して、また何か抜けたような気がします。
そして、同時に子どもの頃のように、今でも望めば何でも出来ること、何にでもなれること、飛び降りても平気というわけにはいきませんが、せめて自分の人生を生きる主人公、アドリブの、台本のない物語の主人公にならいつでもなることが出来る。
またひとつ、大切なことを思い出した感覚です。
子どものときに感じてたワクワクする感覚は、大人になったときにこそ必要で、そこから自己肯定感、ポジティブさが生まれると思います。
きっと、これから先何もかもうまくいく。
きっと今までよりももっとワクワクする、輝いた生活が待っている。
そのためにはいつでも自分と向き合うことが必要。
プライドなんて役に立たないものをずっと持っているより、そんなものを捨てて身軽になりましょう。
確固たる自分と、余裕を持って。