昔の自分
変わろうと思ったきっかけはひとつ前に、軽く書きましたが、なにを悩んだか、どうしたか、変われそうに思えてる理由などは、おいおい書きます。
でも、先に昔の自分のことを書かないことには始まらないと思ったので、そこから。
今までの自分は周りにこう思われているだろうな、とかこう思われたくないな、とかこう思われたい!ということに常に追われていました。
例えば、洋服や口にするものひとつとってもそうだし、好きなもの、振る舞い、果ては考え方まで。
こうすることで、他者を主体においてアイデンティティを見つけようとしていました。
で、ネガティブな感情になると、おそらくその時に顔を見せていた本来の自分とのギャップに悩まされてました、意味もなく。
仮の自分を偽ることで、精神の安定を図ろうとしていました。
でも、それは自分であって、自分じゃない。自分の意思はどこへ?
何が好きか、自分はどういう人なのか、全然わかりませんでした。
休みの日、予定がないとき、何がしたいかも出てこず、こういうとこ行ってそうに思われているから、ここに行こう、とか周囲の人目線。
そういうことも原因の一つで、いつも自信が無かったり自分を認められませんでした。
今から考えると、ほんとにもったいないな、と思います。
好きなものは好き、行きたいところに行く、簡単なはずなのに。
頭ではいつもわかってました、偽ってるということ。
でも、それが自分にとって良いことだと信じて疑っていませんでした。
というより、自分が置かれていたところが、心の牢獄だなんて気づきもしませんでした。
恋愛においてもそう。共依存的恋愛ばかりになって、後から何であんなふうに…といつも思っていました。
何もうまくいかない、思い返すと不幸ではないにしろ、幸福とは言い難い。
いつもなにかを追ってなきゃ、架空の人物を演じきらなきゃ、と焦燥感。
そういう人は、少なからずいるんじゃないかと思います。
自分を出すより、周りに合わせて過ごす方がいい、って思う人。
それをするのは、自分という軸があって初めてできること。
自分が主体となって、できること。
好きなもの、嫌なものははっきりと。
自分が自分を真っ先に大切にしなきゃ、誰も大切になんかしてくれない。
ほとんどの人が、本質的に自分のことがやっぱり大切だから。
僕が、そんな当たり前のことをちゃんと思えるようになったのはここ数週間です。
それをもっと定着させたいって思って、書いてます、今。
自分のメモ感覚、でも必要。