Shower of Love

心理学やカウンセリング、知っていったことなどを思ったままに書いていきます。

8月9月の変化

なかなか秋めいてくれなくて、雨が多い9月。

自分の誕生月でもある9月。

 

1か月ちょっと書くのが空いたのは、変化をして書くことが見当たらなくなったから。

これで大丈夫、というわけではなくて、もっともっと変わっていったり、幸福になれると思うけど、なかなか書けなかった。

 

書こうと思ったのは、彼女に今まで書いたのを見せたら何でもいいと思うから、文章を書き続けてほしいと言われたから。

自分自身も文章を書くのは好きだ。

 

とりあえず、タイトルの通り、8月9月の変化を。

8月に入って、なにがきっかけか分からないけど、急に変化した。

どういう風に変化したかと言えば、些細なことを当たり前だと思わずに、幸せだな、って感じるようになった。

今までは上しか見てなくて、もっともっと、と欲深くなっていた。

欲張るのと欲深いのとは違う。

見方を変えてみた。すると面白いくらい変わった。

両親にも20数年悩んでいたことをきちんと伝えられた。

 

どうやら顔つきも変わったらしい。

目つきが柔らかくなった、と。

 

カウンセリングも、変化したね、良かったね、ということで一応の終了となった。

その矢先に、自分は当事者ではないが、大きな、しかも最低な出来事が起こった。

 

きっと、自分が変化してなかったら全くもって抱えきれなかったこと。

今から考えると、変わるタイミング、きっかけ、全てが予定調和かのように思える。

もし一つでもタイミングが変わっていたら、もしまだ変化できてなかったら、もし変わろうと気づいてなかったら。

少し考えただけでもぞっとする。

もちろん、その問題は解決したし、その方向で良かったと思う。強引で、傷ついたことがあったにせよ。

 

これからは楽しいことしか待っていない。

実際にそうだし、解放されて(当事者ではないけど)リスタートするにはもってこいのタイミングだ。

 

幸福を呼び込むには、現段階で出来る限り、自分が幸福になるのが近道だ。

 

僕は運がいいのさ。

引き寄せることと穏やかさ

最近、穏やかになろうと決めたり、もっと冷静に身の回りのことを考えてみました。

 

すると、いろいろとうまいこと回り始めました。

彼女との関係や、ネガティブだった思考や、日々の生活が。

 

引き寄せの法則、という考え方。

自分の中で良いイメージを決定事項に考えたり、羅列することで叶い始める。

まだ勉強途中で、あまり知らないので詳しく書けないですが、ざっとこういうことかと。

そうすることで自分の思考や行動はそれに基づいて動いていくので、引き寄せていくのだと思います。

 

考え方や、見方一つで変わってくるのを実感しました。

自分を受け入れられたり、自信が持てたり、余裕ができたり。

日々を楽しく過ごすことが少しずつできるようになってきました。

 

穏やかに、ゆるゆると生きていけるように。

それが当たり前になるには頑張る必要がある。でも、そのために頑張ることは、長い目で見れば苦じゃないし、もっと言えば、楽しくもある。

どんどんいいものを周りに引き寄せたり、穏やかに過ごせる、ということが。

 

数か月前、自分の考え方がこんな風に変わるなんて思ってなかったです。

変われるなんて。変化に恐怖を感じていました。

でも、自分を変えられるのは自分で、しかもそれを心の底では望んでる。

じゃあ変わる方がいいよね、って。

 

まだまだ。もっと変われる。

もっと日々が素敵で、楽しくなるように。

後悔と孤独とものさし

しばらくタイミング的にかけない日が続いてしまいました。

最近、仕事で忙しくなり、でも刺激が多かったです。

 

先日、仕事でアメリカ人の方と話す機会がありました。

いわゆる雑談になった時に、ある人が

「後悔とか、50代とかになるとたくさんありませんか?」

と質問しました。

彼は「ノーだ」と答えました。

「もちろん、悪いこともいいこともたくさん起こったけど、でもそれらは全部今日の自分を作ったものだから。」

 

なんて素敵な考え方だ、と思いました。

 

先のことなんてわからないし、ましてや過去のことなんか変えたくても変えることは出来ない。

そんなことを後悔したら、今の自分まで否定することになる。

何も飾らず、ありのままで。

そんな風に受け取りました。

 

みんな、誰しもが、1人なんかじゃない。

親がいて、友達、恋人がいて、もっと言ったらお店の人や街ですれ違う人も、自分が動けば、もっと視野を広げれば、かかわり合える人なんてたくさんいるし、プライドに邪魔されるくらいなら、そんなもん捨てっちまえばいいと思います。

 

もっと頭を使えばいい。

知ってることだけで全てを判断するなよ。

それはあんたのものさしだろ?

 

周りにそういう人、たくさんいると思います。

自分はもっと、周りの人の考えや価値観を認めて、でも自分の軸もきちんと持って、もっと欲張って過ごそうと思います。

 

 

固定概念について

この世界は固定概念にあふれている、最近すごくそう思います。

それを壊すことができるなら、きっともっと視野も広がって、自分が心地よく生活できるのだろう、と。

 

でも、考えていくうちに、あれもこれも固定概念じゃないか?と分からなくなってきます。

自分の感情、思い、考え…今まで無意識のうちに積み上げられた固定概念。

でも、そうじゃないか、と考えるうちに固定概念を外すということに固執して、自分で自分の行動・思考を制限してしまうというか、動けなくなってしまいます。

現に、今の自分がそう。

 

分かりかけていたのに、また分からなくなる。

方法も、好きなものも、感情も、全部。

 

きっと、もっと些細なところで幸福感や心地よさを考える方が気楽なんだ、後から思い出した時に、なんでその時に幸福感を感じなかったんだろう、すごく素敵なことだったじゃないか、ということが沢山あります。きっと、これは僕だけじゃないと思います。

 

もっと、小さいことから大切に、ていねいに。でもシンプルに考える。

もっと、小さい、身近な幸福感で満たすこと。

 

それを頭の片隅に置いてみて、いろいろ改めて行動してみようと思います。

ワクワク感

昨日は昔の自分を思い出しつつ、書いてみました。

周りの目を気にしすぎて幸福感だとか、好きなものだとか、したいことだとか分からなかった自分。

 

正直、今でも分からない。

でも、カウンセリングや、彼女からの言葉や、自分で調べて、気づいたことが沢山あります。

自分で自分の為に調べる、行動を起こすってことは本当に大切だと思いました。

そこで巡り合ったのが、素敵な方々のブログ。

その方のブログの言葉を読んで、ストンと腑に落ちました。同じことをカウンセラーさんや彼女にも言われていたのに、なかなか実行できなかった事柄について。

少し考えてみると、やっぱりカウンセラーさんや彼女から言われることって、自分が相談したり話している中で言われたとしても、どうしても受動的。

能動的に、アンテナを張ることでいとも簡単にすとんと落ちる、ある種、衝撃を伴って。

 

"自分自身を幸せにするのは自分"

"今までの自分はこうだから、とか、らしくないんじゃないかっていう縛りを自分で自分にかけないこと"

 

頭ではなんとなくわかっていたことを第三者の言葉で、自分から見つけたことで、やっぱりそうだよね、って思えました。

きっと、なにかそういう最後の一押しが欲しかったんだと思います。

変化しようとする中で、やっぱり変わることは怖かったり、今までの自分を全否定するようで、自分が自分じゃなくなる気がして。

でも、そうじゃなくて、好きなものは好きという"自分の"バロメータにかけて、自分を再構築することだということに気づきました。

 

そういったことを考えるうちに、ワクワクすることをしよう、それが今は分からないなら思いついたことを何でもしてみようと思いました。

そう考えるだけで、自然と笑顔になりそうになると思います。

 

怖い表情や、思い悩んでいる時の表情って何かに取りつかれてるかのように醜く思えます。穏やかじゃないです、幸福も裸足で走って逃げていきます、きっと。

 

これからはワクワクすること、好きなものにまみれて生活してみよう、そう決めています。考え付く限りの、出来る範囲で。

昔の自分

変わろうと思ったきっかけはひとつ前に、軽く書きましたが、なにを悩んだか、どうしたか、変われそうに思えてる理由などは、おいおい書きます。

でも、先に昔の自分のことを書かないことには始まらないと思ったので、そこから。

 

今までの自分は周りにこう思われているだろうな、とかこう思われたくないな、とかこう思われたい!ということに常に追われていました。

例えば、洋服や口にするものひとつとってもそうだし、好きなもの、振る舞い、果ては考え方まで。

 

こうすることで、他者を主体においてアイデンティティを見つけようとしていました。

で、ネガティブな感情になると、おそらくその時に顔を見せていた本来の自分とのギャップに悩まされてました、意味もなく。

 

仮の自分を偽ることで、精神の安定を図ろうとしていました。

でも、それは自分であって、自分じゃない。自分の意思はどこへ?

何が好きか、自分はどういう人なのか、全然わかりませんでした。

休みの日、予定がないとき、何がしたいかも出てこず、こういうとこ行ってそうに思われているから、ここに行こう、とか周囲の人目線。

そういうことも原因の一つで、いつも自信が無かったり自分を認められませんでした。

 

今から考えると、ほんとにもったいないな、と思います。

好きなものは好き、行きたいところに行く、簡単なはずなのに。

 

頭ではいつもわかってました、偽ってるということ。

でも、それが自分にとって良いことだと信じて疑っていませんでした。

というより、自分が置かれていたところが、心の牢獄だなんて気づきもしませんでした。

 

恋愛においてもそう。共依存的恋愛ばかりになって、後から何であんなふうに…といつも思っていました。

 

何もうまくいかない、思い返すと不幸ではないにしろ、幸福とは言い難い。

いつもなにかを追ってなきゃ、架空の人物を演じきらなきゃ、と焦燥感。

 

そういう人は、少なからずいるんじゃないかと思います。

自分を出すより、周りに合わせて過ごす方がいい、って思う人。

それをするのは、自分という軸があって初めてできること。

自分が主体となって、できること。

好きなもの、嫌なものははっきりと。

自分が自分を真っ先に大切にしなきゃ、誰も大切になんかしてくれない。

ほとんどの人が、本質的に自分のことがやっぱり大切だから。

 

僕が、そんな当たり前のことをちゃんと思えるようになったのはここ数週間です。

それをもっと定着させたいって思って、書いてます、今。

自分のメモ感覚、でも必要。

ブログを始めることにした

はじめまして。

 

ブログを始める、だなんて今までの自分では考えもつきませんでした。

今、27歳の自分は、今まで理由もなく自分のことが嫌いだったり、自信が持てなかったり、ネガティブに苛まれていました。

変わりたい、このままじゃ良くない、と思えるようになったきっかけは、今お付き合いしている方の存在。

存在というより、気づかせてくれました。

「今まで生きづらくなかったの?」

生きづらい…って?生きやすいって何?

全くわかりませんでした。自分の意思もなければ、自分がどうしたいか、何に生きているのか、何が楽しいのか。

全くナンセンスだ!とも思ってました、恥ずかしながら。

でも、そう言われて、これがタイミングだ、他者の眼ばかり気にしてて、でも頭のどこかでは気づいていた違和感や本当の自分との乖離に目を向けるべき時なのだろうと。

そこから、沢山彼女と喧嘩しながら、カウンセリングにも行きながら、いろいろ考えたりしながら、少しずつ、ほんとに少しずつ変わっていけているのかな、と最近思っています。

最初に戻って、ブログを始めるきっかけも、カウンセラーさんに「何か書くとかしてみたらどうですか?ブログとか」と言われたことでした。

昔の自分だったら、きっと面倒だったり、理由は分からないけど恥ずかしくてできなかった。でも、今はやってみたいと思えました。

 

そして、これから何かを書くことによって、昔の自分と同じように考える人だとか、昔そうだったよ、っていう人だとか、別にそんな立派でもないけど、共有というかできればな、と思います。もちろん、一番の根底には自分が書きたいから!があります。ビバ、自己満足。

なんとか、続けられるようになればと。

 

タイトルのShower of Loveは好きなバンドのKula Shakerの曲名"Shower your love"から拝借しました。

"Your"だと自分の意思じゃないから、"of" に。

シャワーを浴びるように"Love"にまみれた、穏やかで幸福で、安定した人になれるように、という願望も込めて。

読んでいただいてありがとうございます。